母の教えー1

私が母から学んだ数多くの中で、母が自らの行動で教えてくれた命にかかわる危険性。
 
私が生まれ育ったのは、北海道の日本海に面した積雪地帯である。
雪国で育った私にとって、春の訪れが何よりも楽しく待ち遠しいものであった。
 
小学校入学前、保育園や幼稚園など無縁の中で育った私は、
日々近所の子供たちと野山を遊び場にしていた。
 
ほんわりとした、柔らかな春の日差しに身をゆだねていると楽しかった!
 
屋根に届きそうになるまでの積雪が、日ごとに解けて低くなっていく。
屋根から垂れ下がったつららは、暖かな日差しを受けてタチッ、タチッと雫を落とし、まるで歌っている様に思えた。
 
雀達も、体を左右にピンピン動かして、ひときわ大きくさえずり、楽しそうにはしゃいでいる。
 
山のりんご畑にある湧き水は、流れに沿って雪解けが進み、ふきのとうが顔を出す。
それはまるで、地面から生まれた小さな小さな赤子のようにも見えた。
私は、それを折って匂いを嗅ぐのが何より好きだった。
 
ゆきやなぎが芽吹き、それを手折って持ち帰ると
祖母がいそいそと仏前に供え喜んでくれた。
 
そして少し離れた家の前を大きな川が流れ、その音は初めの頃は
「ザァザァ」だったのが雪解けが進むに連れて
「ゴーゴー」と叫ぶ様にに聞こえてくる!
 
ここまで来ると、すっかり雪が解けるのも、もうすぐです。
 
3月末のある日の朝、と言っても9時頃だったろうか?
晴れてはいたが、風は冷たく
道路脇の雪は、まだまだ地面を覆っていた。
 
母が突然、
「川を見に行こう!」
そう言って私の手を握った。
なぜか、片手に数本の小枝をもっている。
 
いつもは何かにつけて忙しい母が、自ら私の手をひくなどありえなかった。
「いくー!」
母と二人で歩くのも嬉しかった。
川の流れを見るのが大好きな私は、母と手をつなぎスキップしながら川へ向かった。
 
田舎道とはいえ、車がすれ違うほどの幅はあり
4軒の知人宅の前を横ぎって、上手に向かった。
川に近づくと、なだらかな上り坂になる。
子どもの足では、おそらく10分ほどかかったろう。
 
川は、奥の方が山で手前は堤防に囲まれていた。
川に掛かった橋には、子供の背丈より高く欄干がめぐらされている。
 
橋のたもとには、バス停があった。
 
欄干の隙間から、雪解け水で暴れ狂った川がゴーゴーと渦巻きながら流れているのが見えた。
 
すごーい!
私は、瞬時に変容する川に見とれていた。
体中に響きが伝わり、まるで吸い込まれそうな迫力だ!
 
母は、橋の中程まで私を連れて行くと、持ってきた小枝を川に投げ入れた。
そしてすぐさま、私を抱きあげた。
 
「よく見なさい!お前が流されても誰も、助けられないからね!
 あんな風に、流されて死ぬしかないんだよ!」
「よーく、見ておくんだよ!」
 
いつもより、強い口調で言った。
 
抱き上げられた私の目には、
4、5本の小枝がチリヂリになって、膨れあがった茶色の濁流に揉まれ、滑る様に流されていく様が
恐ろしいほどハッキリ見えた。
 
幼い私でも、自分があの中の一部になったら死ぬしかないのだと、
容易に
想像が出来た。
心底恐ろしい!
と、心が震えた!
 
正にこの時だった!
私が川の恐ろしさ、自然の驚異を、心に刻んだのは。
夏には川遊びに絶好の川が、雪解け水ともなると1000倍にはなっているだろう。
台風、大雨も同様だった。
膨れあがった水は体を揺らし、まるで全てを飲み込むように、
いや、飲み込んで海へと流れて行くのだ!
 
母にとって私のような好奇心旺盛な子供を無事に育てるのは、さぞかし大変だった事でしょう。
 
ありがとうございました。
お陰様でまだ、貴女の命が続いています。