気候変動に無関心なのは?

(気候変動に鈍感な日本人)という記事を書かれた社会学者(大澤真幸)さんの文面を読みながら、なんでなんだろうと考えてしまいます。

これだけ、他の先進国で騒がれている地球温暖化に対して日本人は、
確かに無関心過ぎますよね。
 
よく島国根性と、いう言葉を聞きますが、そうなのだろうと思います。
要するに、ヨーロッパのものの考え方に触れるのが余りにも遅かった。
と、言うことにもなるのではないでしょうか。
 
徳川時代鎖国が、それをもたらした元凶なのではと思っています。
(なるようにしかならない。)
その考えも、民衆が、自らの手で手に入れたものではない(民主主義)という考え方も、人間として深く考える事はしない。
ただ肉体の命を長らえるだけの(生きる)事にだけ、
たけた人間が存在するようになったのではないでしょうか。
 
開拓農家に生まれたからこそ分かるのです。
生きることが余りにも過酷で、多くを占めている底辺に生きている人々は、深く物事を考える暇もなく、貧乏ゆえに学ぶ場も時間もなくて
疲れ切っている人が、多いのだと思います。
そしてそんな親に育てられた子孫たちが占めているのが現状でしょう。
だから、自ら行動を起こすというよりもその時々の状況に順応するだけの人間が出来上がってしまった結果なのだと思います。
 
地震大国と言われているこの国です。
これまで、どれ程多くの災害に見舞われて来た事でしょう。
格差の中、そこで生きる知恵がこの人間性を創り上げたのだと思います。
自分が生きるのに精一杯で次の世代の事まで考えれない?
まして今は、結婚しない。出来ない。そんな時代になっています。
 
多くを占める葬祭だけの仏教は、哲学として機能しておらず、他の宗教は少なく、今の若者にはなおの事心を学ぶ場がないのです。
困った時の神頼みの神様もそうです。
 
政治も経済も、知れば知るほど格差の中です。
親ガチャでしたでしょうか、今の現実だけしか見れない若者も悲しいですね。
そうすると、益々物事を深く考えなくなりますもの。
けれども、世界の隅々を見ると、いかに恵まれているかを見出す事もできるはずですが、それを学ぶ場もないのでしょう。
 
北海道も夜になると一段と冷えてきました。
ストーブのメモリを上げましょう。
人の心を育て、見定めるのは、難しいですね。
色が着いていませんもの。