パートナーが亡くなって一年後、 私はやっと母屋の屋根の吹き替えを依頼する事が出来ました。
赤い屋根のトタンは45年余りの歳月で劣化し、 もう穴ふさぎで済まされる状態ではなくなっていました。 足を踏み入れた場所がパキパキと音を立ててひび割れる様になって いたのです。
「今までこんなに広範囲に屋根直ししているの見たことないよ! ましてや女の人がだよ!」
屋根に上がり、あちこちの寸法測定しながら、 依頼した業者さんは驚いていました!
そうでしょうとも、あちこち合わせると三畳程にはなる筈です。
修理の材料は、クッキーのブリキの箱、使わなくなった煙突、 物置の隅で見つけた波鉄板の端くれ、 叩いて伸ばし屋根のあちこちに差し込んでの作業でた。
金具を切るハサミを操るのは、年月と共にうまくなりましたね。
晩秋の屋根直しは、寒さと屋根から滑り落ちないか? の苦役でした。
お金がないと言う事はこれが現実なのです。
でもこうすると生きれます!
思えば雨漏りが始まったのは、 平成15年の春頃だった様な気がします。
当初は、玄関横の離れに続く廊下でした。
天井の中心辺りからポタリポタリとでしたが、 やがて大雨の時はバケツを置いて凌がなければならなくなってきま した。
その周りも水浸しです!
するとです!今でもパートナーの行動には頭を傾げます!
私は雨漏りを直すには屋根でしょう!と、 当たり前に思うのですが、パートナーは違っていました。
なんと!(廊下の壁にペンキを塗った!)のです!
涼しげな顔で。
エー!エエッ!
これが雨漏り対策なの?!
私は内心の驚きを隠して黙って見守っていました!
20歳の年齢差は、夫に強く意見する、そんな雰囲気ではありませんし 、これから
この人はどんな行動をするのか?興味があったのだと思います。
その頃は、屋根修理など頼める余裕はまったくありませんでしたが
「いよいよ、食べれなくなったらここを売れば良いからね」
日頃から言っていたパートナーです。
田舎町の事、早々アルバイト先も見つかりませんが、夫は身体の弱い私が働くのは猛反対する人でした。
しかしながら、元々経済観念のない人のやることです。
?、?、?。
「大丈夫か?」
入院中、 パートナーは山奥に一人取り残された私を案じて電話をかけ気づか ってくれました。
手紙もほぼ毎日の様に届きました。
これは係累もなくこの地でひっそりと暮らしていた私への配慮です 。孤立しない様にという事なのです。
経済観念のない人でしたが、 パートナーが最も大切にしていたもの、それは(心)なのです!
心はお金では買えませんから!
その間にも雨が降るといつもの場所がひどい雨漏りです。
バケツが2個とタライを置いて、 ダンダン酷くなって来たのが分かりました。
私は屋根の修理をする決心をしました。
5,6歳の頃、 親戚の伯父さんが屋根屋さんで実家の屋根をトタン屋根に吹き替え ていたのを見たり、 父が建てた物置小屋の屋根を一斗缶を切り刻んで上手に屋根を吹い ていたのを思い出してやる事にしたのです。
パートナーは、 私の父の様に日常生活に密着した行動は出来なかった( いや分からなかった)だけで、何でもやって見たかったのでしょう。
様々な道具を持っていましたので、 こうなるとおおいに役立ちました。
ブリキを切るハサミを操るのは容易ではありませんでしたが、 こんな時は父の姿が後押ししてくれました。
錆びたトタンの中に差し込んで数か所、 波鉄板を抑える釘を見つけて止めました。
これで良し!
翌日早速報告しました。
「なにー!、屋根、直したって! 何の為に屋根屋さんがいると思ってるんだ! 素人が出来ないから屋根屋さんが居るんだろ!? そんな所を触ったらとんでもないことになるんだぞ!」
病人のパートナーはとカンカンです!
この思いがけない展開。
お金がないから他に方法がありますか?と言いたい所でしたが、 夫は入院中です。
言わせておきましたよ。
退院後、帰宅したパートナーは私を伴い玄関前に立ちました。
そして屋根をしげしげと見回し、 大きく肩で息を吸い込んで言ったのです!
「凄いねーM子!屋根直しも出来るんだったら、 もうこっちのもんだね!」
目を輝かせ笑みがこぼれていました。
このコメントに啞然!
もう私の頭はクラっとして、白い煙で覆われたみたいでした!
楽しませてくれますね。
笑いは出ませんでしたが何処かおかしい!
パートナーは翌年も胃潰瘍で入院。
その後、身体が弱いなんて言ってはいられません。
私は様々な薬を片手に、送迎をパートナーに託し働き始めました。
振り返れば16年間の屋根直しでしたが、 ピカピカになったトタン屋根をパートナーに見せて上げたかったで す。