生きると言う事は、二度とない日々を積み重ねて進んで行くだけです。
こんな誰でもが気付いている事を、改めて深堀りしてみました。
あくまでも私事です。
真にこの事に気付いたのは、大切な人を失ってからでした。
8歳で私を可愛がってくれた祖母が他界。
今ならそれがどんなことか?どんな意味をもつのか?理解できるでしょう。
しかし、物心ついた時には何時も私を抱きしめてくれたのは祖母でした。
一般的には母代わりだった。いえ、母その者が祖母だったのです。
開拓農家の主婦業の母は、私の下に生まれた2歳半歳の離れた弟の面倒で私に構う暇など無かったからです。
あの幼い日の私は、全てに対して現実を受け入れるだけのおかしな子供だったような気がします。
只々観察していた。
この家が私の家で、この人達が家族で、この人が祖父で、祖母で、父であり母なのだ。姉達がいて兄がいいて弟もいて。
そう思ったものの、5,6歳ごろには伯父が
「M子、さあーもう家に帰るぞ!お前が生まれた時に家の母さんが病気になって、仕方がないからここの家に預けたんだ。もう元気になったから迎えに来た。もう帰るぞ!」
そう言って私を今にも連れ帰ろうとしていた。
それを聞いて皆の顔を見ると、姉兄達は何も言わず傍観者だった。祖父母、父母は、無言で見ているだけ。
「本当?本当に私は、ここの家の子じゃないの?」
涙を浮かべ、大真面目に問う私に皆笑っていた!
何度問うても答えてくれた人は誰もいなかった。
伯父は我が家では滅多に口に出来ないお菓子を下げて、しょっちゅう
「迎えに来た!」
と訪ねて来ていた。
こんな事が一年余りも続いた。
その間誰もここの家の子供だと答えてくれず、
(さらわれる!)
というわけの分からない恐怖ともやもやが、私の心を乱していた。
その2年後、伯父の家に養女として貰われてきた赤子の存在で、やっと子供心の恐怖から解放された。
確かにその間も変わらず祖母に可愛がられていた。誰よりも!特別に!
しかしながら、何時も遠くから私を見守っている母の優しい眼差しを感じてはいた。
母の愛を実感したのは祖母が他界する半月程前だった。
夏休みに直ぐ上の姉と兄が遠くの親戚の家に遊びに行くと言う。
「私も行きたい!」
駄々をこねた私に祖母は激怒。初めて突き放された!
ショックで高熱を出した私に駆け寄り、慰めてくれたのが母だった。
10日後、祖母は私の目の前で心臓麻痺で他界した。
葬儀、火葬、骨上げ、初めての事ばかり。明らかに祖母を失った!
あー、私にはもう誰もいないんだ!その心に突き刺さる様な喪失感は他に例えようがありませんでした。私はこの世で一人ぼっちなのだ!
その時から私の孤独が始まったと言って良い。
それまで生きていく上で頼りにしていた祖母。何物にも代えがたい存在だった。
胸を焦がすほどに悲しんでも祖母が存在していたたわいのない日常は、もう二度ともどってこなかった。
それが死別なのだと体験し、長い時を経て理解し納得した。
その後両親を始め、可愛がってくれた肉親、知人、友人が旅立ちました。
最愛のパートナーも。
その都度、気にかけなければアッと言う間に過ぎていく日々。
だからこそ、何事も今日できる精一杯で生きて行こうと心掛けて来た。
歳を追うごとに(今日という日)が如何に大切なものなのかが、重く感じられます。