立ち位置

初めて自分の立ち位置が分からなくなりました。

我が家は木立に囲まれています。

仕事を終え帰宅したのが13時頃、疲労感から横になった。

 

居間の中心部、子布団の上で思わず両手を上げた。目覚めると曇り空でしたが「夜明けが近い」そんな気がしました。

身体が軽いこれほどの爆睡は久しい。何時にない満足感が広がりました。

 

けれど、何かおかしい?気がした。

柱時計は5時、目覚まし時計も同じストーブの時計も。

何時もなら布団の上の筈。

考えがを巡らせる。

この睡眠の満足感が思考を惑わせた。

夏至を終えたばかりの曇り空には太陽がなかった。

だからいったい朝なのか?夜なのか?

ハッキリとしない!

本当に朝なら仕事に行かなければ、6時55分に迎えが来る!

携帯を見ると17時だった。

夜という事?!

それでも自分で判断できずお友達に電話で確かめました。

「これから夜ですよ!」

ここでやっと現実を認識。

こんな事が起きるなんて!

だから人生は楽しい。

笑い。

 

 

進化

パソコンを教えて頂いて五年程になりました。

 

ブログを勧められて4年でしょうか。

今までは書いた文章をアップも出来ず、先生に公開の作業をお願いしていました。

でも今日からやっと出来る様になりました!

先生、呆れて放り出さずに教えて下さってありがとうございました!

<(_ _)><(_ _)>

スキップ

幼い頃から運動は苦手だったけれど、野原を駆け巡りスキップをしながらはしゃいでいた。
 
そのスキップが出来なくなって10年余り、これが老いる事なんだ。
物分かりの良い私は納得していた。
 
しかし、4匹の猫ちゃん達への責任からこの現実に抗う。
高齢でも元気な人がいる!
なぜだろう?生活習慣はどうなっているのか?
この疑問に立ち向かい見つけた栄養不足。
 
あくまでも自分の肉体の事。
タンパク質を今までの3倍にしたらどうなるのだろう?
もともと好奇心旺盛な私。
結果がどうなろうと他人様に迷惑をかけているわけでもない!
毎日卵は1から2個、鶏肉豚肉、魚貝類、(豆腐、納豆、おから)まとめて大豆製品等、これらは必ず食べる事にしています。
小麦粉を含んだものは、なるべく食べません。植物油、乳製品も食べない様に気を付け、甘いものは程々に。
 
前にもブログに綴りましたが、昨年の9月からの食生活です。
なんと今ではスキップも出来るようになりました!
こんな事も出来るようになるなんて!
自分ながら驚いています。
私は今74歳。ぎこちない動きとはいえ、膝の痛みも殆どなくなりました。
これは朗報です!
人生100年時代の昨今、私と同年代の方々、どうぞ参考にしてください。
 

穏やかな日々

昨年の9月より食生活を見直し、膝や股関節痛、腰痛などには神経ストレッチが良いと兼子ただし先生の動画や本で勉強。
 
お陰様で、今は同年代の方より元気に過ごせています。
今までの経験から、気を抜くと直ぐに元の状態に戻ってしまうと身体が覚えていますので、日々努力しています。
 
ただ、私の身体には生卵は合わないことに気が付きました。
お腹は痛くなりませんが、下痢便になってしまうのです。
温泉卵もダメみたいですね。
しっかり火を通すと問題ありません。
 
常に自分の身体を観察し、山野草のお茶(自己流)を頂きながら元気になった事に感謝して過ごしています。
 
今年は身体が動くようになってきましたので、庭の手入れや家庭菜園に力を入れられそうです。
出来ない事は、どなたかの力をお借りして今のペースで過ごしたいです。
 
今は4匹の猫ちゃん達に毎日ブラシがけをせがまれ、
猫じゃらしで遊んで!とせがまれています。
 
サン(お父さん)、ボンジュ(長女)、半年違いのチョモ(次女)とトマス(長男)です。
何時も「私の側にいてくれてありがとう!」
そう声をかけながら楽しく過ごせています。
 
今年の冬は一度も除雪作業なくて楽ちんでした。
まだ分かりませんが。
帰宅途中の山間の崖に、もうフキノトウが10センチほど芽吹いているのも見受けられますよ。
夜明けが早くなって春が近づいてきました。
それだけで何だか嬉しい!

新時代の到来

テレビも新聞も殆ど報道しませんが、東京では財務省解体!のデモが昨年の暮れから幾度もされ、今や全国に波及して来ています。
 
今まで政治には無関心だった若者たちも参加し始めています。
格差社会。統治者達の横暴。そして戦争は権力者達のビジネスだ。
金儲けの手段として戦争を仕掛け、一般庶民を駒の様に消費していく
幼い日からの疑問がダンダン解けてきました。
 
この世界の真実を知らなければ人生を無駄に過ごしてしまいます。
亡きパートナーは第2次世界大戦時、海軍幼年学校在学中に敗戦。
後に
「報道の噓に惑わされ、間違った人生を送ってしまった!」
と生涯怒っていました。
 
その現状は今と変わっていない。
されど今はネットで調べることが出来ます!
 
しかしテレビや新聞を信じている人々、いや、情報を得る手段をそれだけしか持てない者達には真実を知る術がない!
 
そんな中で見事に洗脳されてしまった一般国民。
日々の生活に悲鳴を上げながら文句を言うけれど
「どうせ何をやっても変わらない!」
その無力感は、しっかりと染み込んで出来上がってしまっている。
長年飼いならされてしまった多くの人々は、選挙権を持っているのさえ忘れ放棄し逃げてもいる。
 
統治者が庶民を駒にして扱うには、皆貧乏人の方が扱いやすい。
生きるのがやっとの状態にしておくと、口出しする元気もないだろうから。
恐れるのは、この一般庶民の中から目覚めた賢者が出現することだ!
とにかく阻みたい!
ゆえにサラ金まがいの奨学金制度を作り上げ、食べるだけで精一杯の人々からも容赦なく10パーセントの消費税を巻き上げる。
 
「お前らはそのままでいろ!」と。
 
のし上った官僚達は、天下り先を転々としながら人生を謳歌し、上級国民として一族の繫栄に心血を注ぐのみ。
民のかまどなど見向きもしない!
少子化対策を見ても彼等の狙いが垣間見える。
 
庶民達よ、自分はさておき、子供や孫達までこのままで良いのですか?
私には子供はいませんが、次の世代を生きて行く若者たちには、今より少しでもましな世の中を残してあげたい!
 
善悪は後で良い。
先ずは、真実を見るのが先です!
一度きりの人生、せめて私の気付いた事を述べるのがこの世に生まれた役目の様な気がします。
そんな思いから綴ってみました。
 
アメリカのスタンフォード大学フーバー研究所におられる近代史の専門家
西鋭夫先生。
 
元外務省出身の(大和ごころひとりがたり)をされておられる
馬渕睦夫先生。
 
国際政治アナリスト
伊藤貫氏
 
桜無門関主催
 
林千勝氏
ジェイソン・モーガン
 
こちらの方々から多くを学ばせて頂いております。
教えて下さって、どうもありがとうございますございます!
 
そして今の現実を命がけで伝えて下さった亡き森永卓郎氏。
全国を回り、全身全霊で国民の為の政治(人間の尊厳)を掲げておられるれいわ新選組の方々。
私はその熱き思いを無駄にせずに、横に繋がって行きたいと思っています。
ありがとうございます!

日高に家を建てませんか?

冬でも晴天の日が多いこの地に住んで50年が過ぎて行きました。
私が生まれ育ったのは日本海側の後志です。
幼い日、除雪作業の大変さには気付かず、雪と戯れ遊んでいた。
初雪が降った朝は外に飛び出し、真っ白なキャンバスに絵でも描くように足跡を刻む。
最高に楽しかった!
 
ドカ雪の日には、父を先頭に母も姉も兄も除雪に汗を流していました。
家の前を除雪車が走ると、やっとバスが通れる。
 
成長するに連れて私も雪投げに参加しました。
初めて母に言いつけられ、物置の雪下ろしをしたのが小学5、6年生だった。
その作業の初体験は、見ていたのとは大違いの重労働でした。
 
屋根から落ちないように、最初はヘリを残して除雪。
大きなスコップは持てないので小さめの剣だ
「落ちるんでないよ!そこが終わったらヘリを下ろすんだよ!」
離れて見守っていた母から手順を教わり、汗だくになっての作業。
それが当たり前の時代だった。
家族が多かったからこなせた雪国の生活なのだと、今なら分かります。
家族が少なくなった今の時代、年老いて年々動かなくなっていく肉体に、除雪作業は(大変!)の一言につきるでしょう。
 
私は思春期になると、来る日も来る日も降る雪と鉛色の海を見ると生きているのが憂鬱になった。
この途方もない日々が永遠に続く様に思われ、生きる気力を奪っていく。
そんな感性だった。
 
結婚し、この日高に住むようになって、初めて雪かきのない生活を知りました!
40年ほど前まで牧場経営をしていましたが、一冬でも家周りの除雪は多くて6回ほどでした。
その上、屋根の雪は一度も下ろしたことはありません。
積もらないので必要がありませんでした。
風は冷たいけれど、気候変動の昨今、それも薄れて来ましたね。
今年の冬の積雪は、今まで5センチ程が一度だけ。後はパラパラ降っただけです。
日高は年中晴天の日が多く、とにかく太陽が明るいのだ!
人生100年時代を考えると、除雪のないこの地に住めて最高!
ということに気付いています。
 
30年程前、東京出身のパートナーとの二人暮らしを案じて、
係累が居ないのだから、こっちに越して来たほうが良いぞ!」
と兄が提案してくれました。
「雪投げが出来ないからいけない!」
私はそう答えた。
パートナーが亡くなって8年目、ご近所さんに助けて頂きながら今も小さな牧場跡地に住んでいます
 
淋しさはありますが、太陽が明るく除雪作業がほとんどない冬は特に思うのです。
ここに住んでいて良かった!と。
後志に住む兄、姉達は、悲鳴をあげていますもの。
 
都会の喧騒はないけれど、冬でも太陽が明るい日高は自然も一杯です!
除雪作業のないこの地の老人達は、とても元気ですよ!
 
地方はどこも同じように人口減少が進んでいますが、人生の最後を迎えるまで生きなければなりません!
そう考えた時、家を建てるなら除雪作業がほとんどない日高をお勧め致します。
先日友人から
「皆知らないんだと思うよ!ブログで紹介して!」
そう言われ、綴ってみました!

訃報

1月21日、長姉が亡くなったと言う。
 
13歳上のまるで母の様な人でした。人間は悲し過ぎると涙も出ないものですね。
弔いには行けない!
もう随分まえから決めていた事。前々からこの事態を想定し、了解を得ていた。
だから今まで出来る限り電話した。そして様々な品を届けた。
 
昔の開拓農家育ちの姉は、特に山菜が大好きでした。
故に季節ごとにふきのとう、行者ニンニク、ふき、わらび、うど、と様々な物を送った。よそから頂いた仏の耳や落葉キノコも懐かしがって喜んでくれた。
極め付けはハッタンキョウ。ここに嫁いで直ぐに実家から持って来て植えた木
が昨年初めて沢山実った。50年ぶりの快挙と言って良い。
プラムやプルーンの様な濃い甘さはないけれど、懐かしさで笑顔になれる。
送るたびに最高の喜びを見せてくれました。
あの感動表現は姉の才能と言って良いでしょう。
 
難病患者でありながら、何時も笑顔を絶やさずに前向きな人でした。
様々な事を体当たりで生き抜き、面倒見の良い苦労人でした。
立派なお姉ちゃんでしたね。
まだ、亡くなった実感はありません。
今も電話の向こうで「サッポロだよ!」
と、明るく弾んだ声が聞こえて来そうです。
人を励ますのがとても上手な姉でした。
私はお世話になったお礼に、今出来る精一杯を続けてきた!
だから心残りはない。
淋しさは募るけれど、まだピンと来ない。
されど、今まで励まし続けてくれて本当にありがとうございました!
<(_ _)><(_ _)>
とお礼を言おう。

痛くなければ生きれます!

一年がアッと言う間に過ぎて又新年を迎えました。
とは言ったものの昨日の続きです。
 
年齢を重ねるに連れ足腰が衰えあちこちが痛く、思うように動けなくなってきました。
人生100年時代を迎え、この肉体で生きて行く事に何の希望も持てず、ただ
(早く終わったら良いのに)
そう思ったのは昨年の秋までの事。
 
医学も科学も進んで、今までの価値観がガラリと変わる、そんな日が訪れようとは夢にも思いませんでした!
「足腰が痛いのは老化だから仕方がない!」
親たちの口癖が違和感なく身体に刷り込まれ諦めていました!
 
それは間違いでした!
痛みを取り、治す方法があったのです!
 
兼子ただしさんが教えてくださいました!
老化と言われ膝が痛い、腰が痛い、坐骨神経痛、股関節屈曲、脊髄狭窄症等々、今の病院では治せないこれらが、神経をストレッチする事で治せるのです!
これは高齢者にとって朗報ですよ!
 
でも、自らYouTubeを見て情報を得る行動をしなければ分からない事ですね。
私は何時も思うのです。自分の健康をドクターに丸投げしてはいけない!と
元々虚弱体質の私ですが、今いる4匹の猫ちゃん家族を守るためには健康でなければ責任を持てません。
故に自分自身を観察し予防医学を心がけています。
これは、ドクターだった亡き夫から学んだ事です。
 
よく驚かれます。
「お元気ですねー!」と。
「元気を付けて元気なのです!」
私の答えは決まっています。
精神は何時も前向き。
これは今の私に必要不可欠と気付いた時には即実行。
 
昨年の秋から今までの食生活を見直し、痛いところを治すために兼子先生の動画と書かれた本を参考にして日々を送っています。
お陰様で肉体は5,6年前に戻ってきました!
これなら4歳を迎える三匹の猫ちゃんを、看取って上げるまで生きられるでしょう。
未来は自分が創るものです。
実感しています。
でも年齢を重ねながら日々、肉体と精神のメンテナンスを整えて生きるのは気の抜けない大仕事です。
頑張るのみ!

汚いもの

此処まで生きて、晩年亡きパートナーが時々口にしていた言葉を思い出します。
「汚いものは、見ないで済むなら見ない方が良い」

今ならその意味が良く理解できます。
人生を進むに連れて、いかに自分自身の知らない事が多いかに気付きました。
それらの一つ一つに目を向ければ、知らない事ばかり。
その中でも最も不可解なのは個々の人間の心です。
心には色が付いていませんので他者の心情を図ることは難しい事。
まして相手方が本当はどう思っていたのか?その真実を知らない方が平穏に暮らせる。
そんな場合も多々あるでしょう。私事ですが。

パートナーの話す幼い日々の親子関係は、私から見ると明らかに実母からの虐待です。
彼がその実態を理解できたのは私と結婚してからでした。
それでいながら当の本人はマザコンの一言で片づけられる程、実母を賛美していました。

私と同様に年齢を重ねるにつれて、様々な事の疑問が解かれて行く中で信じていた実母の愛は歪んでいた。虐待の真実に辿り着いた時、
「この事実を知った方が良かったのか?知らない方が良かったのか?私には分からないわ」
私がそう言うと
「いや、知った方が良かったよ」うつむきながら発したパートナーの言葉は悲しげだった。
母に愛されずに育った人間は、生涯にわたってこんなにも心に影を落としているものなのだろうか
ある面では二郎物語の二郎の様な人でしたね。
私がパートナーと生活をして感じた事です。

今改めて彼のこの言葉の意味を考える時、実母との様々な事を指していたのではないか?と思うのです。
世間知らずのお人よしのあの人は、今でいう詐欺まがいに巻き込まれ生きていましたが、他者との関係には生活が懸かっていますから、
「汚いものは見ないで済むなら見ない方が良い」
では片付けられないものの筈です。それなりの決着は付けていた。

そこで考えられるのは実母との関係だったと思うのです。虐待を受けている多くの子供たちは
(自分が悪いからだ!)
と、思っているそうですね。
そうだとすると、私と関わることで知った実母の虐待の事実は知らずにいた方が心穏やかに過ごせたという意味だったのかもしれません。

彼は人間的に善の人でした。
人を信じては騙される。そんな人生を送って人間不信に陥っていたパートナーにとって、どんな事態に陥っても逃げ出すことなく寄り添った私は、溺愛してくれた父親を無くして以来、初めて信じる事の出来きた存在でした。

医者から牧場経営に変わり、この仕事は素人が手出し出来るような代物ではない。
ましてや軽種馬生産と言ってもギャンブルの一旦です。
パートナーは、心配してくれた伯父さんから
「馬はいけないよ!」
と言われた所で、やり始めて直ぐに辞める訳にもいかず、陰で
「坊ちゃんだ!直ぐに逃げ出すべ!そうに決まっているって!」
そう言われているのを知って、なおさら意地になったようでした。

幼いころから母に愛されずに育った人間は社会生活に順応出来ず、精神的にも物質的にもつまずいてしまう様です。亡くなる前に発した言葉は
「僕は騙されっぱなしの人生だった!」
でした。
人それぞれの人生です。
他者の心の痛みを察し、寄り添う事は難しいけれど、せめて裏切る事だけはしたくない。
そう思って生きて来ましたが、過去にどうしても選択をしなければならない事態に陥って、不本意にももう一人の友人を裏切る形になってしまった事は、私にとって今でも悲しく深い心の傷です!
もしも今後お会いすることがあったとしたら、
「ごめんなさい!でも私を絶対に許さないで!」
そう言おうと心に決めています。
振り返れば辛く悲しかった事も一杯でした。

肉体の変化

年齢を重ねる度に体調の変化に驚かされます。
 
そんな中で医学も科学も進歩して、病気対応が変化してきています。
様々な情報の中から(今の自分にはどうしたらいいのか?)を常に考え、自分の身体を使って試しています。
 
二年前の春の事です。
山菜採りに出掛け、草に足を取られ転びました。
するとなかなか起き上がれません。
身体を反転してもがき、やっとの思いで立ちあがりました。
その時は恐怖さえ感じました!
こんな身体では、もう一人では出歩くことは無理なのかしら?
気分は最悪。
これは平坦な道を歩いていたら気づけない事でしたね。
 
あの頃から股関節、膝の痛みがひどくなりました。
動かさなければ固まって本当に動けなくなる!
老化だ!
そう思って筋トレストレッチに励みました。
すると痛さは残っていましたが動けていました。

幼い時から虚弱体質の私です。
パートに出た20年程前からは様々なサプリメントを試しながらここまでやって来ました。
それがダンダン利かなくなって来たのでしょうか?
変えて良かった!と思っても、4、5年すると合わなくなるのです。
筋トレストレッチは毎日やってきました。やらないよりは良いです。
朝起きると身体がこわばっていますので不可欠。
ですが、近頃は筋力低下で動きも悪く、膝も痛くなり、家事や庭の手入れもおっくうになっていました。

前にも書きましたが、高齢の方の言葉を頂いて
この歳になったら美味しい美味しくないはどうでも良い。身体に良いか?悪いかが問題なんだ」

そこでネットで学んだ事を応用して、グルテンをなるべく食べないようにする。
油っこい物、甘い物、乳製品も少なめにして人体実験です。
9月1日より卵かけご飯を食べる事にしてから二ヶ月。
我が肉体に柔軟性が出て来ました!
蛋白質が不足している)に気付いてから肉や魚、大豆食品も今まで以上に食べる様にしたからでしょうか?
始めて三週間過ぎてから寝起きの筋トレストレッチをしなくても、すっと起きられるようになってきました!
膝の痛みもなくなってきました!
立ち上がるたびにコキコキ言っていた膝の関節が言わなくなってきたので驚きです!

長く座っていても以前程身体が固まった感じがしなくなりました。
これならまだ頑張れそうです!
私が思いますには、筋トレストレッチ同様に(適切な栄養が必要です!)
改めて理解できました!
今の所、5、6年前の肉体に戻ったようです。

冬に向けて漬物、野菜のストックや家庭菜園の後片づけ、身体が動きますので出来ています。
皆さん、どうぞ参考にしてください!

山野に生きる

今年も無農薬、ややほったらかしでカボチャ栽培をしましたが、収穫は例年の三割ぐらいでした。
明らかに失敗です!
 
三月末に例年通り種を埋めました。ゴールデンウイーク頃には発芽をしていましたね。
(これで良し!)と間引きし見守っていました。
所が今まで経験した事のない猛暑です。カボチャ以上に雑草が茂りました。
そのままにしておきますと明らかにカボチャは雑草に負け、埋没して消え去るのみ!
そこで綺麗に除草したのが間違いでした!
 
黒い地に蓄えられた地熱に、花をつけ握りこぶしぐらいに成長したカボチャの子。
焼かれて次々に腐ってしまいました。無惨!
 
そこで勉強しました!
来年は雑草をカボチャの葉より少しだけ低くなるように刈り取る、それで良いのでは?雑草が熱を緩和してくれるでしょうから。
結果はどうなるのかな?今から来年が楽しみです!
 
僅かとは言え独り暮らしの身、これでも食べきれないほどの収穫です。
物価が上がり財布の紐が硬くならざるを得ない今日、買わずに生活出来るのは余裕です。
 
庭にはびこっている三つ葉を刈り倒した後から、又次々に芽が出ています。
柔らかいのは、摘み取って冷凍保存しましょう。
これでお正月に必ず高騰する三つ葉は買わずに済みます。
千本ネギも同様に!
こうしている間に冬がきますね。
山野から頂くものに助けられて、今日も笑顔で過ごせています。
「多かったら上げなさい!腐らせるぐらいなら上げなさい!」
母の教えのままに生きています。

今日という日

生きると言う事は、二度とない日々を積み重ねて進んで行くだけです。

こんな誰でもが気付いている事を、改めて深堀りしてみました。
あくまでも私事です。
 
真にこの事に気付いたのは、大切な人を失ってからでした。
 
8歳で私を可愛がってくれた祖母が他界。
今ならそれがどんなことか?どんな意味をもつのか?理解できるでしょう。
しかし、物心ついた時には何時も私を抱きしめてくれたのは祖母でした。
一般的には母代わりだった。いえ、母その者が祖母だったのです。
開拓農家の主婦業の母は、私の下に生まれた2歳半歳の離れた弟の面倒で私に構う暇など無かったからです。
 
あの幼い日の私は、全てに対して現実を受け入れるだけのおかしな子供だったような気がします。
只々観察していた。
この家が私の家で、この人達が家族で、この人が祖父で、祖母で、父であり母なのだ。姉達がいて兄がいいて弟もいて。
そう思ったものの、5,6歳ごろには伯父が
「M子、さあーもう家に帰るぞ!お前が生まれた時に家の母さんが病気になって、仕方がないからここの家に預けたんだ。もう元気になったから迎えに来た。もう帰るぞ!」
そう言って私を今にも連れ帰ろうとしていた。
それを聞いて皆の顔を見ると、姉兄達は何も言わず傍観者だった。祖父母、父母は、無言で見ているだけ。
「本当?本当に私は、ここの家の子じゃないの?」
涙を浮かべ、大真面目に問う私に皆笑っていた!
何度問うても答えてくれた人は誰もいなかった。
 
伯父は我が家では滅多に口に出来ないお菓子を下げて、しょっちゅう
「迎えに来た!」
と訪ねて来ていた。
 
こんな事が一年余りも続いた。
その間誰もここの家の子供だと答えてくれず、
(さらわれる!)
というわけの分からない恐怖ともやもやが、私の心を乱していた。
 
その2年後、伯父の家に養女として貰われてきた赤子の存在で、やっと子供心の恐怖から解放された。
 
確かにその間も変わらず祖母に可愛がられていた。誰よりも!特別に!
 
しかしながら、何時も遠くから私を見守っている母の優しい眼差しを感じてはいた
母の愛を実感したのは祖母が他界する半月程前だった。
夏休みに直ぐ上の姉と兄が遠くの親戚の家に遊びに行くと言う。
「私も行きたい!」
駄々をこねた私に祖母は激怒。初めて突き放された!
ショックで高熱を出した私に駆け寄り、慰めてくれたのが母だった。
 
10日後、祖母は私の目の前で心臓麻痺で他界した。
葬儀、火葬、骨上げ、初めての事ばかり。明らかに祖母を失った!
 
あー、私にはもう誰もいないんだ!その心に突き刺さる様な喪失感は他に例えようがありませんでした。私はこの世で一人ぼっちなのだ!
その時から私の孤独が始まったと言って良い。
 
それまで生きていく上で頼りにしていた祖母。何物にも代えがたい存在だった。
胸を焦がすほどに悲しんでも祖母が存在していたたわいのない日常は、もう二度ともどってこなかった。
それが死別なのだと体験し、長い時を経て理解し納得した。
 
その後両親を始め、可愛がってくれた肉親、知人、友人が旅立ちました。
最愛のパートナーも。
その都度、気にかけなければアッと言う間に過ぎていく日々。
 
だからこそ、何事も今日できる精一杯で生きて行こうと心掛けて来た。
歳を追うごとに(今日という日)が如何に大切なものなのかが、重く感じられます。
 
 

卵かけご飯

久方ぶりに、まとまった雨が降っています。

 
トタン屋根を叩く雨音は実に心地良い。
こんな日は子供の頃の楽しかった日々に戻って行く。
 
開拓農家の生活は誰もが仕事の分担は決められていた。
10歳頃になるまでは見習いみたいなもので、朝起きると決まって祖母が家中の掃除を仕切っていた。
特にトイレと玄関は念入りに掃除をしていたのを思い出します。
「ここは特に綺麗にしないと恥かしい事なんだよ!」
側にまとわりついていた私はそう教わり、雑巾がけを手伝ったり玄関の敷台にワックスを掛けるのを習った。
祖父は弟の子守。母は食事の用意。姉達はその手伝い。
父は早朝から農作業。兄も駆り出されていた様な気がします。
 
そんな中で朝食に卵かけご飯が出される時がありました。11人家族でしたが、このご飯は子供達だけにだされていた様に思います。
卵は一個、醬油で伸ばして7人のご飯をもった上に少しずつかけていた。
今思い出すと、僅かな卵の味とほとんどが醬油の味だった。
でも兄弟姉妹は喜んでいた!貴重な卵でした。
 
その後農家の副業として鶏を飼い始めたのが、小学5・6年頃の筈です。
そうすると傷物の卵がよく食卓に上った。これは貴重な栄養源でしたね。
私はその頃から卵かけご飯が嫌いになりました。
白身のドロッとした感触が好きになれず、かれこれ60年余り食べなかった。
 
しかしながら、そうも言っていられない事態に遭遇しました。
老化が進むにつれて、膝が痛い。
朝起きると身体が固まりちじんでいる様な違和感。
確かに若い頃と比べて身長は3センチ縮みました。
目覚めると布団の中で目いっぱい身体を伸ばさなければ動きが悪く、軽い筋トレやストレッチが不可欠。
長く座っていると身体が固まって立ち上がるのが大変です。
 
これが今後の私の日常なの?
ゾッとしながらも、好奇心旺盛な私は様々な事に目が行きます。
何時も考えていたのは、栄養に問題があるのでは?です。
 
以前、80歳過ぎの方が
この歳になったら美味しい美味しくないはどうでも良い。身体に良いか?悪いか?が問題なんだ!」
と、言われていたのが頭の隅にありました。
 
ネットを見ながらやっと気がつきました!
(タンパク質が不足している!)
そこに注目。サプリメントはとっていますが、そんな事では解決しません。
身体があちこち痛いのは、タンパク質が不足して筋肉が硬くなり痛くなるというのです。
 
そこまで分かったなら、この肉体のメンテナンスはどうするか?
面倒なのは続きませんが思いつきました!
 
朝は卵かけご飯、夜は納豆ご飯を中心に、鶏の胸肉、大豆製品、魚、もちろん
野菜果物も頂き、とにかくシンプルに。
こんなわけで、あんなに敬遠していた卵かけご飯、9月1日からほぼ毎日たべています。
昔祖父が時折り生卵にチョット醬油をかけて、美味しそうに食べていた姿を思い出しながら、これは気持ちが悪いんじゃない。
美味しいし、身体に良い。
そう言い聞かせ、僅かのご飯に生卵をかけています。
ご飯を多くしますと他の物が食べれませんので。
 
私の人体実験、成功です!
始めて3週間ぐらいから、朝起きた時の違和感がなくなってきました!
立ち振る舞いもスムーズになって来た様な気がします。
好きだった甘い飲み物はやめました!
お菓子は少しだけに!
 
人生、本当に先の事は分かりませんね。
この歳になって卵かけご飯を食べる様になるなんて!
今思うのは、精神と肉体は別物と言う事です。
この歳まで使わせて頂いているこの肉体は、もうメンテナンスなしではスムーズに動けないのです。
そこに気付いて、嫌いだった卵かけご飯を我が肉体に届けています!
明日をシャンと生きるために。

統治者と統治される者

子供の頃からの疑問がもう一つ解明、納得出来ました。

 
幼い日から格差が気になり、世の中のあり様に目が行きました。
生活に追われる中で学びの場を持つことのなかった私が、その答えを得るまで、
いえ、悟るまでと言った方が良いのでしょうか?
70年の月日を要しました。
 
格差の答えは「富の配分が公平でないだけ」。
私が自分自身で得た答えです。
 
日本人として生まれ育った環境は自然崇拝、全ての物に神が宿っている。
我が家でもそうでした。私の身体の中にもしっかりと染み付いている感覚です。
 
記憶に残っているのはお向かいの家。天皇崇拝が目立っていました。
しかし我が家ではそんな事はなかった。無関心だった様な気がします。
詳しくは分かりませんが、明治維新が絡んでいるのでしょう。
 
今になって納得できる答えは、神様がおられて宇宙があって地球がある。
そして人間社会がある。
 
その人間社会を統治するには必ず統治者が必要だと言う事です。
人間集団の活動の中から宗教が生まれた。
 
そして、そこにも格差がある。人間一人一人が目覚め、賢くならなければ、知らないうちに奴隷の様に扱われる人も出て来ます。
人間は善と悪を両方持っているのですから。
 
今まで金と戦争で富を独占し続ける悪しき人々が世界を闊歩していた。
その現状がやっと、ネットメディアの中で人々に明らかにされ始めました。
情報をコントロールし人間を操って来たその悪しき存在が暴露された今、改めて日本の天皇こそが理想の統治者なのでは。
そう思え、納得出来ました。
 
人々が目覚め、未熟な悪しき政治を正す事が出来れば、子供達の未来は今よりもずっとましになっていけるでしょう。
そんな世の中を見てみたいですね。

二度目のカット

お盆前、高齢者事業団の方にお願いしてイボタの垣根の刈り込み、家の周りの草刈り、木々の枝払いをして頂き、スッキリしたと喜んでいました。

 
ですが今年も猛暑がやって来ました。
パートナーが管理していた10年前とは明らかに温暖化が進み、それに伴って木も草も何と早く伸びる事でしょう。
 
特にイボタの垣根が凄い事になってしまいました。
今年はこれで刈らなくても良い)
と思ったのは馬鹿な考えでした。
 
つつじもこのままでは大きくなりすぎます。
やはり自分で手をかけなければと、電動バリカンを持ち出し、カット作業を始めて見ました。
ところが垣根の表をカットした所で、ブンといったきり動かなくなりました!
壊れたのです!
 
買ってから20年たっています。
直すより買った方が良い。
パートの仕事が忙しく新品を調達するのに時間が掛かりましたが、やっと昨日気になるところをカットしました。
バリカンは以前と同じサイズですが、機械はより軽く使い勝手が良くなっていました。
筋力低下の肉体でも上手く使えました。
 
もう自分では出来ない!などと弱音をはいている場合ではありませんでしたね。
これこそがこの地に住む宿命なのです。
やれるだけやるしかない。そう言い聞かせています。
愛する猫ちゃん達と快適に暮らすには、頑張るしかありません。
 
今年は例年になくコオロギがいっぱいです。
以前テレビで見たコオロギ食の大きいサイズが、いたるところにいます。
時折り家の中に。猫にいたずらされる前に
せっかく生まれてきたのだから)
と外へ放しています。
 
そうそう、ひと月前の夜に勝手口の側の水道付近で、水貯めにかえるが鳴いていました。
何年振りでしょうか?嬉しかった!
例年より除草剤を蒔く回数が少なかったからでしょうね。
そこへ今年二度目の除草剤を蒔いたらかえるが可哀想。
そう思って大きくその回りには除草剤を蒔かずにおきました。
ゆえに今では雑草が大きくなって大変です!
 
喜びは束の間、もうとっくにかえるの声はしなくなりました!
こんな事なら、来年からはやはり除草剤を蒔く事にしましょう。
早くから蒔いたらかえるは来ないでしょうが、近づかなければ無下にかえるの命を奪わずに済みそうですよね。
 
今思いますと、パートナーと牧場経営をしてた時は、馬の身体に悪い!と家の周りも含めて除草剤を蒔いた事はありませんでした。
だからでしょうね。かえるもトンボやキリギリスもコオロギも、ヒバリも雀も沢山いたのでしょう。
自然には悪い!と分かっているのですが、体力のない私にはここを管理する方法は他にありません。
お許しください。