思い出

人間は何の為に生きる?

人間は、何の為に生きるのでしょうか? 幼い日からの問い。 自問自答の中に身を置いて、出た答えは 命を繋ぐ事! に、辿り着きました。 人間の存在無くして、始まりも終わりもないのだから。 存在しているからこその悩み、生きる!事に繋がるのでしょう。 か…

自然界には虫がいっぱい 

随分昔、知人が夏休みに子供を連れて我が家を訪れた時の事です。 田舎の生活では当たり前の虫達。 それを目にする度に、足を止め、たじろぐ姿。都会ではあり得ない事だからでしょう。 菜園のキャベツの青虫、てんとう虫、アリ、ワラジムシ。地面を良く見ると…

バニーガール

昭和45年、田舎育ちの私がS化粧品会社に入社しました。 給料が高かったのと絵が好きだったので、化粧も絵を描くこと同じととらえ、進路を決めたのです。 そんな私が、会社の教育実習を終えて配属されたのがすすき野にある一番取引の多いチェーンストアでし…

ダメな子

建前があったのは小学校入学前の夏の日だったろう。そこは大好きな伯母の家の近くで、清んだ川が流れ、橋を渡った所だった。 (新築祝いの餅まきが間もなく始まる!) 時計を見ながら母は私を伴って足早に歩く。幼い私はそれに遅れまいと小走りで付いて行っ…

仏の耳(ぎんなんそう)

道南の春は早い! もともと、降雪量の少ない上に晴天の日が多いここは、3月末ともなると雪はあっという間に解けていく。 すると、山間のあちこちから春の山菜が芽吹き始める! ふきのとうが最初に顔を出し、行者ニンニク、あさつき、ヨモギ、イラクサ、10…

父の土産

幼い日の父の土産は、父が昼ご飯の弁当に持って行った(おにぎり)の残りだった。 お正月の三が日が過ぎると、父は払下げを受けた山奥に造材に行っていました。 それがどんなに過酷な仕事かは、体験した事のない私には、よく分かりません。 ただ「父さんは、…

36号線の男

もうあれから50年の月日が流れましたが 今でも、忘れられない光景があります。 その頃、S化粧品会社に勤めていた私は、主にその人に会うのは汽車に乗る苫小牧から千歳間の駅、時には列車の中だった。 60代半ばぐらいで、一見労務者風、洗いざらしたグレ…

お迎え

年齢を重ねるにつれて、今までさほど気に掛ける事の無かった事が気に掛かる様になってきました。思えば、35年はとうに過ぎてしまいましたが、生前の父の言動がハッキリと脳裏に浮ぶのです。あれは、母が亡くなって49日の法要に実家に行った時の事です。既に…

寝言

3人の姉はすでに嫁いで、屋根裏部屋は4番目の姉と私の2人だけだった。 春先とは言え、雪解けは始まったばかりの三月の終わり頃だったろう。どういうわけか、4番目の姉が雪に埋もれた木々の間をくぐり抜けて山を登って行くのです。私は、長靴が雪にぬかってな…

クリスマスとお正月

田舎育ちの私がクリスマスの楽しさを教わったのは小学校4、5年の頃です。 それを知らせ、楽しみを教えてくださったのは、恩師のm先生でした。 学校の側のヨーロッパとうひ(たぶんそうだと思います)の下枝を3本 組み合わせて飾り付け、クリスマスツリー…

恐怖

それは、初めての体験でした。 あの時ほど、少数者が暴徒化した何者かに襲われた時の恐怖心は、 こんなものなのかと思い知らされた事はありません! そして、思いも寄らず突然その場に遭遇した時の自分自身の 不甲斐なさも思い知らされたのです。 私が、最初…

神様を探して

神様はおられる。 人間が生きる上でこの存在を肯定するか否かで、人生が大きく変わるに違いない。 実家も婚家も仏教徒である。 だから、違和感なく過ごしてきましたが 神様を意識したのはいつだろうか? と、考えたとき、祖母の存在を思い出すのです。 幼い…

本当かな?確かめてみよう!

私の生きる原動力は、好奇心以外の何ものでもないようだ! 物心ついた時から何かにつけて、やってみたい子だった。 このことに早くから気づいていたのは、母であったろう。 あれは、小学校入学前のことでした。 農業者の両親が田んぼのあぜ道で草刈りをして…

馬鹿な私

暖かな秋日和ですね。 こんな日は忘れられない思い出の一つが顔をだします。 子供の頃、そう小学4、5年の頃、でしょうか。 近所に一つ年上の幼馴染の、かわいい女の子(Sちゃん)がいました。 Sちゃんはお姉さんで、私は、彼女のまねをすることもあったと思…

みんな笑っていた!

子供の頃、どういう訳か私を(貰いたい!)という人が幾人もいた。 それは、私にとって恐怖以外の何物でもなかった! 押入れに隠れたり、祖母の後ろに隠れたり。喉はカラカラ。 涙ぐんで胸がギリギリと痛んだ! 「イヤダー!イヤダー!」 祖母にしがみつき、…