今では、
日本が
アメリカの植民地であると言う事を多くの人が理解している
であろう現実。
しかし、私が子供の頃には占領されたままだ!と捉えている人はいても、一般人の植民地だと言う確固たる言動を,聞いた事はない。
最も田舎の我が家では、食べる事で精一杯の日々、外人さんを見かける事など皆無でした。
テレビ、新聞からの情報を得るにもそれすら我が家では遅れていた。
小学校の図書館で手にした本から、世界のありよう?
イ
エス様の童話から、学んだ博愛。
そこには強く心惹かれたが、
キリスト教徒になろうとは思えなかった
。
私は、世の中の事何も知らない。
後で後悔しない様に勉強して、世の中の事を理解してから考えよう。
そう思って生きて来た。
洋画を見ては楽しみ、羨望だけが膨らんで行った少女時代。
貧しさゆえ自分自身は、諦めいっぱいの人生だったがそれでも夢や希望を考える事は出来た。
家族全員でこなしていた開拓農家の過酷な生活。
完璧ではなかったとしても、食べ物は平等。
農家ゆえイモやカボチャばかりだったけれど、ひもじい思いはした事がない。
正に親の愛であろう。
鍋一杯のイモの皮をむきながら
「働けど働けど我が生活楽にならず、じっと手を見る」
ときおり母が口荒んでいた啄木の歌。
母が、他界した年齢になりました。
今気付くのは、凛として生きていた彼女の人間としての誇り。
人間の尊厳を教えてくれたのは、母でした。
どこで学んだか忘れてしまいましたが
「これから生きて行くには、常に時代を見る目を持たなければならない」
この教えが何時も頭の隅にある。
世界へ目が行く。
此処まで生きて、その深層がやっと理解出来た。
様々な事を勉強をする中で、噓を教えられ、操られていた現実。
世界は戦争ビジネスで動いている。
ここに焦点を当てなければ平和はやってこない。
これらの戦闘の中、生死をかけて逃げ惑う人々の中に戦争ビジネスの本質を見抜く人は幾人いるのでしょうか?
一般人は、殺し殺された恨みが増幅し、相手側に憎悪だけが膨らんで行く。
その思いは親から子へ、孫へと続く。
戦争ビジネスで利益を貪る者たちにとって好機であろう。
真実を追いかけて来た私の目には、
今日本の腐敗しきった
自民党政治の闇に巣くっている、
民衆とかけ離れた政治も同様。
結婚して間もない頃、「日本って、
アメリカの植民地なんじゃないの?」
パートナーに問い掛けた事がありました。
「その様なものだろう」
答えはここでした。
戦争に巻き込まれ、戦争相手だけしか目に見えない多くの人々。
人間の思考がそこに留まり渦巻いて、戦争ビジネスに巻き込まれている真実までたどり着けずにいる。
だからこそ、支配者の意のままに操られて行く。
何も知らない幼子の様に!
戦争反対!これらのデモをいくら行ったとしても、戦争ビジネスを展開している資本家階級、結託している政治家側には、同情も苦しみも悲しみもない。
只、ゲーム感覚の傍観者だ。
彼らが恐れるのは、真実を知られる事。
人々が目覚める事のみであろう。
だからこそ教育を恐れ、それが出来ない様に人々を貧困のままにしょうと企んでいる。
ゆえに、世界に類のない
民度の高い日本人は、
この不景気の中に貶められ、
目覚めるのを阻まれて来たのでしょう。
今、れいわ
新選組の中に、目覚め始めた真の日本人がいます。
民衆の前に立つ侍の姿を見出すのは、私だけでしょうか?
様々な個々の知識人がどんなに騒いだとしても、
れいわ
新選組の政治を変えようとする言動エネルギーの前には、
小さく見える。
人間の尊厳とは、あくまでも人道的であるべきです。
(貴方が良くて私が良くなければ何事も成り立たない)
母の教えです。
様々な個々の人間が、思考を上へ上へと高めて行くしかないのでしょうね。
でも、食べるだけで精一杯の生活からは難しい事。
それでも考える事を止めてしまったら、権力者達の思う壺です。