パートナーとの楽しかった日々

瞳の中の宇宙

6年が過ぎて行きましたが、パートナーと死別したあの時、その瞬間の現象が今も私の心を捉え続けています。 大腸がんから肝臓、肺へと転移し闘病二年半。 最後は我が家で。 パートナーの意思を汲んで在宅医療に。 帰宅した翌日、すっかり瘦せ細ってしまった…

ウサギ小屋

結婚して2年程経った頃、実家の祖父母の法事に出掛けた帰りにウサギを二匹貰って来ました。 これも又私が経験した事のない日常の始まりでした。 帰宅するなり、ウサギを家の中で放し飼いにすると言うのです! 実家では、棚作りの幅二メートル奥行一メートル…

思い出の庭

4月30日で72歳です。 此処まで生きて思う事は、過去に思い描いていたより (ズート長く生きてしまった!) その感覚です。 パートナーは、86歳で亡くなりましたが 「こんなに長く生きるとは思わなかった!人生50年と言われていたからね」 良くこんな事を言っ…

ドデント!

パートナーと結婚して初めて迎えた冬の日の事です。 早目に馬達を放牧し、馬房掃除を終え、少し離れた町へ買い物に出かける事にしました。 12月半ば、昨夜降った雪が3センチばかり積もっていたと思います。 私達は慌ただしく身支度を整え車の方へ向かいまし…

16年間の屋根直し

パートナーが亡くなって一年後、私はやっと母屋の屋根の吹き替えを依頼する事が出来ました。 赤い屋根のトタンは45年余りの歳月で劣化し、もう穴ふさぎで済まされる状態ではなくなっていました。足を踏み入れた場所がパキパキと音を立ててひび割れる様になっ…

無知なる善

学びの場を持つ事が無かったけれど、様々な事を教えて下さったのは亡きパートナー(慶応義塾大学医学部出)です。 何時も私に言っていました。 「M子は可哀想だね。親父の子供だったらどんな事でもやらせてもらえたのに!」 これが口癖でした。 きっと好奇心…

見たか!!? 

忘れないうちにこの思い出も記す事としましょう。 (隼君)この人は亡きパートナーの思い出話に良く出て来る人です。 東京での少年時代。公園の鉄棒の上からの空中大回転、決してやってはいけない事と前置きしながら、「隼君は大きく揺らしてブランコを回転…

看板はそのままに!

我が家の看板を塗り直して、4年は経ったような気がします。 パートナーが20年程前に立てたもので、時々ペンキを塗り替えて今日まで使っています。 太い電柱の一番上に大きな楕円形(たぶんアンテナの再利用でしょう) 白地に黒のペンキで、名字記入(ここは…

そんな事は約束出来ないよ

パートナーが86歳で此の世を去る一週間前でした。貧乏をやってみたかった人の最後は、金銭的に見ると借金せずに何とか暮らせている。そんな状態でした。闘病生活2年半で、やっと現実が分かった人でした。「僕の人生の中で一番お世話になった人なのに、こん…

どうしたらそうなるの!?

結婚して2年目。 事件が起きたのは5月の末頃だったような気がします。 「いつの間にやられたんだー!?」 パートナーが朝の飼い葉をつけに厩舎に赴いてすぐさま戻って来ました! メガネの奥の目は今にも飛び出し駆けだしそうに大きく揺らいでいた。 口元はわ…

もう、家にはお金が無いよ

結婚して一年半、私は、それまで深く考える事もなく生活していました。 パートナーから渡されたお金で買い物をし、彼の好きなもので料理を作った。 只々、私の育った庶民生活との違いを肌で感じる事ばかり。 50年前のハムは高級品だったし、私の好きな巨峰…

助けてくれ!

結婚して間もない頃、だったでしょう。 馬の世話に明け暮れながらも、何でもするパートナーが(午後から屋根のペンキ塗りをする)と私に告げたのです。 その頃、瘦せて病弱だった私は、牧場の手伝いはしていましたが、よく横になって休んでいました。(いま…

曲がりなりにも真っ直ぐだ

この言葉も、母がよく言っていた言葉でした。 結婚して間もない頃、生まれも育ちも違う事がこれほどの誤解をもたらすものなのか?と気づかされた言葉でもあります。 事の発端は、二人で牧場に柵を巡らせていた時の事です。 スコップで牧柵を埋めるための穴を…

信じてはいけない人

パートナーとの生活の中には、吹き出したくなるような逸話があります。 東京育ちで庶民生活など知らない、ましてや田舎生活など無縁の人でした。 ですが、山菜採りやキノコ採りが私同様大好きで、牧場の仕事の合間に良く出かけていました。 9月末の事でした…