無知なる善

学びの場を持つ事が無かったけれど、様々な事を教えて下さったのは亡きパートナー(慶応義塾大学医学部出)です。

 
何時も私に言っていました。
「M子は可哀想だね。親父の子供だったらどんな事でもやらせてもらえたのに!」
これが口癖でした。
きっと好奇心旺盛な私を見てそう思ったのでしょう。

以前親戚の家から帰宅した時の事です。
当時中学生だった甥の純粋な物のとらえ方を見て余りにも称賛するので、私の口から思わず飛び出した言葉です。
「それは、無知なる善でしょ!」
すると、パートナーはカッと目を開き声を大きくして
「誰が言った⁉」
と、問いただしてきました。恐らくパートナーの知識を持っても聞いた事がなかった答えだったのでしょうね。
「だから今、私が言ったでしょ!」
「君は凄い事言うね!」
「だから、お人好しの姉に育てられた子よ。世間を知ってこれからどんな大人になるか?でしょ。
 あのままの良さを大人になっても持ち続けていられるか?
 そこが問題ですよ。多分あまり変わらないとは思いますけど」
 
パートナーはその言葉に耳を傾け私をジッと見つめ、
「うーん」と唸っていました。
「出来る事なら汚いものは見ない方が良い!」
これが日々私に言っていたパートナーの自論でした。
 
私はあの頃もこの世の真の姿を追い求めていました。
今も変わっていませんが。
人間の不可解さを常に感じているからの答えでした。
お人好しの両親に育てられたのですから、兄弟姉妹も似たようなものです。
しかし、世界、世間の成り立ちの深層を知っていたならどうなのだろう?
無知なる善の向こうに垣間見える人間とは?
難しい問題です。
自分自身を紐解いても分からない事ばかりなのですから。
 
最後に残るのは個々の人間性になるのでしょうか?