田舎育ちの私がクリスマスの楽しさを教わったのは
小学校4、5年の頃です。
それを知らせ、楽しみを教えてくださったのは、 恩師のm先生でした。
学校の側のヨーロッパとうひ(たぶんそうだと思います) の下枝を3本
組み合わせて飾り付け、クリスマスツリーにしてくれました。
給食には、 一人ずつデコレーションケーキが出され、
田舎暮らしの私たちには、驚きと美味しさでクリスマス会は楽しいものでした。
ジングルベルもきよしこの夜もみんなで歌って
新しい息吹は、学校で教わった!
そんな時代でしたね。
そんな時代でしたね。
各家に、 やっとテレビが普及し始めたばかりの昭和30年代の出来事です。
その一方で、アンデルセンの(マッチ売りの少女) を読んでいた私には、格差を意識する一端になったと思います。
知らないことばかりの頃、 先生はクリスマスイブに
教会の神父様にも会わせて下さいました。学校で。
教会の神父様にも会わせて下さいました。学校で。
こうして少しずつ世の中を観察してきました。
その頃祖母が亡くなって、 やっと自由を手にした母のお陰で
クリスマスケーキは毎年買ってもらえるようになりました。
そんな時には「母さんは、いつもクルシミマスだよ。」
と言っていた母の言葉を思い出します。
でも、 我が家ではクリスマスプレゼントは一度もありませんでした。
ですが今思い出しますと、大晦日には必ず新しいセーター( デザインと模様はステキ)が用意され、下着も靴下も新品で早くに入浴し、
きちっとした格好をして席に着いたのですから
風習の違いというの もあったと思われます。
風習の違いというの
ご馳走もいっぱい。
席についた家族全員に、おちょこで酒が振る舞われ、
「縁起物なので一口でも飲みなさい。」
幼子にもそう言う父でした。
天井には、 他所ではチョット見たことのない豪華な繭玉が1月20日頃まで飾 られ、華やいだお正月でした。
懐かしい思い出です。