父の土産

幼い日の父の土産は、父が昼ご飯の弁当に持って行った(おにぎり)の残りだった。
お正月の三が日が過ぎると、父は払下げを受けた山奥に造材に行っていました。
それがどんなに過酷な仕事かは、体験した事のない私には、よく分かりません。
ただ「父さんは、今日やっと一本切った!」
その言葉に、大木を人力で切り倒した凄さは想像できた。
父が持っていた、長さが一メートルはあろう、ピカピカの研ぎ澄まされた鋸で格闘する父の姿がうかぶ!
雪に濡れないようにと、臀部に着けていたヤギの毛皮と、長靴に雪が入らないように巻き付けていたゲートル姿の父がいる。
 
正月明けの北海道後志管内は、家々がすっぽりと雪に埋もれていた。
台所では、カタコトと音がしている。
目覚めた私は枕元に置いてあったセーターやズボン、靴下などを抱えて居間にむかった。
裸電気が灯された居間のストーブの上に、大きな釜でご飯が炊かれていた。
焚きつけて、直ぐにご飯を炊き始めたばかりの居間はまだまだ寒かった。
暖をとろうとストーブの側によっていくと、
「もう、起きたの?まだまだ寒いよ」
母は、しっかりと着込んで居間と台所を行き来しながら言った。
「寒いから、まだ寝てなさい!」
「起きる!」
私はそう答えて身支度を整えた。
祖父母も姉、兄、弟もまだ布団の中だった。
おばあちゃんっ子の私だったが、時にはこんな事もありました。

父は起きると直ぐに馬小屋に向かった。
馬に餌をやり、出かける前にブラシをかけていたのです。
母は、炊きあがったご飯に梅干しを入れ、濡らしたふきんで大きな大きなおにぎりを二つ作り、火鉢でかるく焼いていた。それを新聞紙でくるんで、父が軍隊から持ち帰ったという国防色の入れ物に入れた。
おかずは漬け物だけだったような気がする。
 
それが出来上がると、父は朝ご飯を急いで食べて、馬橇で山仕事に出掛けて行く。
午前3時半ぐらいだったろう。
寝静まった田舎道を雪明かりを頼りに進んで行った。
母に見送られて馬を操る父の姿は実に勇ましかった。
 
夕飯は、そんな父が帰宅してからに決まっていた。
冬の夕暮れ時は早い。母は、父を案じて幾度も外に出たり入ったりして
帰宅するのを待っていた
薄暗くなって、父の姿を見つけるとホッとして母の顔が和らいだ。
父は、すぐさま弁当入れを手渡すと、馬の手入れをしている。
汗だくの馬は、身体中から湯気がボウボウと出ていた。
「側に来たら危ないぞ!」
そう、私に声を掛けた。
馬は飼い葉を食べるのに夢中だ。
父はその側で馬具を外し、汗を丁寧に拭き取り、
「ご苦労さん!」と、馬に話しかけている。
馬房の側で見ている私に
「よーく拭いて乾かしてやらないと、風邪ひくからな!」
そう言って、馬の手入れや餌、水やりと忙しく働いていた。
 
まだまだ時間がかかりそうだ。
私は、急いで土間の入り口から台所に戻ると弟が父の弁当入れを開けていた。
今日も父が、おにぎりの三分の一ほど残してくれていた!
「良かったね!」
そう言いながら母が私と弟に半分づつ分けてくれた。
 
冷たくなっていたが、嬉しかった!
何か別物の様な気がして、食べるとそれは、塩とご飯のおこげの味と新聞紙の味がして美味しかった。
5、6歳頃の思い出です。
 
あれは、父の子供への愛なのでしょうね。
そして、必ず残して来る父のために自分の手ではとても握れない程大きな大きなおにぎりを母が作っていたのでしょう。
 
この歳になって、やっと気付いた私です。