人間誕生

一人暮らしはとにかく忙しい。
今日は、月一回の燃えないゴミの日だ。
パートナーの残した様々な物の多くはゴミと言っていい。
これは、何かに使える。これはまだまだ使える(捨てるのはもったいない!)
この思いのままに過ごした人に寄り添ってきた。

私も忙しかった!トラブルも嫌で見過ごして来た!
そのツケが今回ってきたのだ!
私自身、決して丈夫な方ではない。
体調管理をしながらぼちぼち片付けるしかないのだ。
まー、人間に物は付き物であろう。
 
あの時からだった。
私が私を人間として認められたのは。

私は、生まれた後の記憶がハッキリするのは2歳と6ヶ月の時からである
10月の半ばだった。
家の中がにわかにざわついて、私は訳もわからず外に出された。
小川のそばで立ち尽くした私は、(何かが違う?)と感じていた。
いつもなら(ドジョウはいるか?)気になって時を忘れて覗き込んでいたであろう。
それに誰も私を気にかけくれる人はいなかったのだ。

間もなく大好きだった叔母が現れた。
いつもは私に優しかった叔母だったのに、まるで何かにとりつかれた様に私には目もくれず家の中に入って行く。
すぐさま後を追った先は座敷だった。
幾人かの大人がいて、短い会話が飛び交い、言葉にスキがなかった。
そこには母が横たわり、汗ばんで髪が濡れていた!
苦しそうな息とうめき声を発している。
ただ事ではない!(何かが起こる!)
そう思って間もなくだった。
母の股間からふさふさの髪に覆われ、「オギャー!オギャー!」と、つんざくような産声をあげて弟が誕生したのは。
 
私は、それより前のことをあーしてた、こーしてたと他の人に伝える根拠がない。
漠然と祖母に可愛がられていたという思いだけが残っているだけだ
他は姉や兄の証言に元づくほかないのである。
しかしながら、それはあくまでも外見の行動であり、私自身の内面を表現するものではない。
(その時、自分はどう思っていたのか?)
その時の心の有り様を語れる日。
それこそが、人間としての私を形づくった最初の日なのだと、確信している。
まさに肉体と精神が融合した日である。
 
さあー、一輪車にゴミを載せた。
行くとしよう。