豚になっても生き残れ!

随分前、そう40年以上も昔になりますでしょうか。
多分ゴットファザーの映画の中でのセリフだったような気がします
 
この世の格差の中で生きて行く過酷さ、そんな中での言葉、
妙に心の中に留まっています。
「豚になっても生き残れ!」
私とて今までの人生を振り返ると、こんな惨めな事があって良いのか?
そんな体験がいくつもあります。
子供の頃から、格差が気になるそんな人生でしたから。
 
私がパートナーと過ごした日々は、私が最も私らしく生きられた日々でした。
かけがえのない日々を送れた事に、深く感謝し続けて過ごしております。
私の個性、私の人間性、私の夢。
それらが例え叶わなくても、指定はせず見出して下さった事に!
 
人間世界を生きるのは他の動物同様、弱肉強食?
ロシアとウクライナ戦争を見た時、何が何でも生きる事を選んで
精神を二の次にするのか?
それとも崇高な精神を持って明らかな死をも覚悟するのか?
亡きパートナーなら後者を選ぶでしょうか?
 
人間は現実と理想の狭間を生きて行かなければなりません。
全てを人道的に考えると自ずから答えが見出せるのでは?
人間の欲望の壁と宗教の壁に折り合いをつける事は、可能なのではないか?
と思うのは、私の幼稚な考えなのでしょうか?
 
次の世代を残さなければなりません。
ここでウクライナ側が占領されたまま手を打った(豚になっても生き残れ!)としたら、この戦いは只々未来に先送りされただけの結果になるのでしょうか
北方領土問題が答えを出している、と言う事でしょうか?
宇宙から見ると国境など何処にも無いのですよね。
 
人は何の為に生きるのか?
それは命を繋ぐためです。
私の様に自らの子供を持てなかった者は、子供を育てている人の役に立つ場をみつける事でしょう。
「あなたが良くて私が良くなければ何事も成り立たない」
子供のいる人、いない人がいて世の中だ」
今にして母の言葉の崇高さを強く感じております。
人間は愚鈍なものなのです。
だからこそ、理想を掲げ、そこへ一歩でも近づこうと努力し続ける他はないのだと、此処まで生きて思うのです。