後悔したくなくて

時折、幼い日の記憶が甦り、なぜあの時

「行かないで!」
と、言わなかったのか?どんな環境であったとしても言うべきだったのでは?
そう私が、私を責めている。
 
私はそんな思いを二度としたくなくて、今まで生きてきました。
 
一番大好きだった伯母が、私の生まれ育った田舎から家を畳んで都会へ引っ越して行く日。
伯母の友人・知人がバス停に集まり見送った。
私も母に手を引かれてその場にいた。
 
胸が搔きむしられるほど悲しかった。
「行かないで!」
口には出せずに大人達にはじかれる様に、後ろに立っていた。
じりじりと胸が痛んで喉も痛かった。
泣きたくなるような思いをこらえていたのを今でも思い出す。
 
ここまで生きてその年月が、定かではなくなったけれど、おそらく小学2.3年の3月だったでしょうか?
今になってもあの別れの悲しみは、心の底に鎮座している。
 
旅立っていく半年ぐらい前から、伯母の引っ越しは大人達の会話の中から知っていた。
(よく遊んでもらった従妹の就職が決まり、札幌へ引っ越す事にした)と、言う。
 
聞き分けの良い私は分かっていました。「行かないで!」
と言った所で幼い私には、どうする事も出来ないのだと。
 
私が大人だったら良い方法を、見つけられたかもしれない。
しかし、今は無力なのだと。
 
その後、幾度かの再会はあったが伯母は後悔していた。
「家は、売らなければ良かった!そうしたら戻れたのに!」と。
 
伯母の人生は過酷でした。
終戦直後の樺太から引き揚げる途中、ご主人をロシア人に殺された。
その上身重の叔母は、引き揚げて間もなく頼りにしていた長男が行方不明になったと言う
折に触れ、「何処に行ったんだろう?」と涙ぐんでいた姿が、今も私の胸を掻きむしる。
 
晩年ガンを患いながら、嫁いだ子供達に支えられていたが最後は自死の道を選んでいた。
 
私の後悔は伯母が、家を売らなければ良かったと嘆いていたのを聞いてから。
その後、苦難の道を歩んでいる姿が感じられた時から。
 
幼い私の「行かないで!」
が、伯母の人生をもう少し幸せなものに出来たかもしれない。
そう思われて後悔してきました。
 
あの時からだ。
自分の思いを伝えるべきと思った時には、伝えようと心して生きて来たのは。
 
振り返れば様々な事がありましたね。
そんな思いとは裏腹に、人間社会を生きるのは何と難しい事でしょう。