まだ死にそうもないので、風呂リフォームしました

私は、ここが好きです!

パートナーが亡くなり遺産として残された我が家。
あれから6年、小さな小さなこの牧場の跡地に今も住んでいます。
 
しかしながら、係累のいないこの地に一人で住む事に自信がなかった。
想像すれば老いていくだけの日々!
ゆえに、今まで住み続ける決心がつかなかったのです。
 
そんな訳で、家は最低限度の手当しかしてこなかった。
 
住み続ける以上、風呂のリフォームだけは必要不可欠になりました。
何せ築53年にはなろうタイルの浴槽が、年に2,3ミリずつ傾き30年余り。
遂に外壁を10センチほど押し出している!
 
このままでは、家が崩壊する!
 
そのストレスにさらされながら、お金は三年前には用意出来ていたのですが
家猫の病気の介護もあって、ここまで時間を有したのです。
 
風呂の外壁を壊し、ボロボロ、グシャグシャになっていたのをリフォームするのですから軽自動車一台購入するだけの経費は必要。
病気の二匹の猫ちゃんを看取って2年半。
遂にその時がきました!
 
来年死ぬならボロのままでいいのですが、愛する猫達を思うとそうやすやすと死ぬわけにも行かない。
ゆえに、健康管理もバッチリ!気をつけて気をつけて。
 
こうなってはなかなか死にそうもなく、死ぬわけにもいかず頑張るしかない。
 
「こんなハードルの高いリフォームは初めて!」
そう呟く業者さんを、激励しました。
「経験は力なりですよ!」
 
例年にない暑さの中、工事に携わった方々に感謝で一杯です。
本当によくやっていただきました!
 
この暑さの中、何度も身体を洗えて気持ちが良いです!
こうなったら10年は、頑張ろう!

見つけた!世界の真の姿を

幼い頃から格差が気になっていた私は、すべてに対して観察する癖がついていた様に思います。

 
学びの場を持てなかったとは言え、僅かな情報からその前後左右に思いをはせていた。
 
そんな私が気付いたのは、人間は二種類に分類され、人生いかに生きるべきか?を考える人間とそれをまるっきり考えない人間がいる。
その考えにたどり着いたのは、小学校5,6年の頃だったと記憶している。
 
ゆえにそんな白けた私は、クラスメートから浮いていただろう。
 
開拓農家で、生きる事に精一杯の両親を見ながらなにも考えない人は、父だと無知な私は決めつけていた。今ならあの荒れ地を開墾するのにどれほどの知恵が必要だったか。理解できる。
無学の父だったが、軍隊に入って下士官になっていたと聞く。
深くは分からないが、温厚な父は部下を統率するのには闌けていた様だ。
射撃は、ずば抜けていたとか。
上官から「字が書けていたら、ドンドン出世させてやるのに惜しいなあ」
と言われてたそうだ。
 
しかしながら,私が捜していた答えはそれではなかった。
 
でもやっとネットの中に、捜していた私の考えと同じ人々を見つけることが出来ました!
 
そして戦争が起きるメカニズムが、ハッキリと理解出来ました。
 
やはり戦争ビジネスか強固な岩となって存在し、弱者を翻弄していた。
余りにも大きな野望の前には、一般人は気づかない様です。
それが人間の特徴なのですね。
権力者達や統治者達は、表と裏の顔を絶妙に使い分け弱者達を駒の様に扱っている。
弱者の命などどうでも良い。
その上、権力者側に取り込まれたマスコミの嘘に惑わされ、一般人は真実を知る機会さえない。
疑問をもち自分で探そうとしない限り、騙され続けていくしかないのだ。
 
そんな世間のあり様を全く知らされずにいた私だったが、何時も世界の動きが頭の片隅に存在していた。
無学な私にとって、真実にたどり着くにはなんと人生の半分以上を有しました。
 
とりわけ誰もが望んでいない戦争が、どうして起こるのか理解できていなかった。
でも、これによって得する人がいるからだ!そこまでは容易に想像できていたのだが。
見つけました!
戦争ビジネスなのです。
ここに、真の歴史を学ぶ必要にたどり着きました。
 
これを知らずに、「戦争反対!世界に平和を!」
いくら声高に叫んでも、何の意味もありません!
元を絶たなければどうにもなりません。
薄っぺらな(無知なる善)が存在するだけです。
 
学ぶには、情報が必要です。
視野を広げて始めて真実にたどり着く事が出来るのです。
サアー、これからドウ生きる?

まどかちゃんが亡くなりました

ここ日高も、イヨイヨ夏が到来してパート先から戻ると室温30度越え。

そんな中、病気で衰弱し前日から水さえも口にしなくなったまどちゃんを置いて仕事に出るのは心配でした。
 
朝、箱の中に横たわっているまどちゃんに
「お母さんが帰って来るまでがんばるんだよ!」
そっと身体を撫ぜ家を出た。
 
気にかけながら仕事を。
 
午後2時半、帰宅して箱の中に目をやる。
まどちゃんは、いなかった。
瘦せ細り歩くのもやっとだった筈!思い当たる場所をあちこち探してみた。
 
もしかして!夏でもネコちゃん用にそのままにしているコタツの中を覗いてみる
いました!
「まどちゃん!」
声を掛けると
「ウー、ウー」
と、弱々しい声を出しわずかに頭をもたげた。投げ出したままの肉体は力なくだらりと横たわったままだ。
「お母さんを待っていたの?」
「ウー、ウー」
返事が返ってきました。
 
そっと引きずり出し、乾ききった口元を水で濡らして上げる。
留守の間にどこかにぶつけたらしく右の頬が腫れていた。
「かわいそうに!痛かったでしょう?」
そっと擦ると、そうだと言わんばかりに目を向け「ウーウー」と答えた。
 
またコタツの奥の暗闇に戻ろうとするので、奥へ押しやった。
もう、この世に残された命は僅かに違いない。
今まで多くの猫ちゃん達を看取った経験から、その現実が容易に想像できた。
「まどちゃん!お母さんはここにいるからね」
そう声をかけて、他の猫ちゃん達の面倒を見る。
時々、覗き見ると
「ウー」と言いながら私を見ていた。
 
幾度か口元を濡らしてあげ、見守った。
側に布団を敷き、まんじりともしない夜を過ごす。
 
午前2時頃には、もう、呼びかけても反応する事もなく僅かに呼吸しているのが胸の動きで確認できた。
そして、午前3時頃そのまま息絶えて行った。
 
19歳の人生でした。
ウンチを漏らすようになって9ヶ月、食べれる物を捜し、幾度もご飯の作り直し、夜中も二度三度起こされた。
洗濯物もいっぱい!
それでも、優しくして上げられたから良かった!
私の精一杯をやり通したので悔いはない。
まどちゃん!私の側にいてくれて本当にありがとう!
 
「まーどちゃん」
呼びかけると片目だけ涙目で、他の猫ちゃん達より小顔。
額から鼻の中心にかけ、流れる白のブチマーク。
可愛い可愛い猫ちゃんでした。
呼びかけると、「アッ」と必ず返事をしてくれた子でした。
 
私は、折に触れ亡くなった猫ちゃん達の名前を呼ぶ。
今一番多く呼んでいるのは、まどちゃんです。

運動

4月末頃から新たに始めた筋トレのお陰で、肉体はポンコツからややポンコツ

格上げになったと思われます。
 
ひたすら真面目に、朝夕だいたい20分程は続けています!
運動は、あれ程嫌いだったのですが必要に駆られるとこの私でも続けられています。
 
すると精神に、変化見られる様になってきました。
全てにおいて前向きに考えられるようになって来たのです!
 
鏡の前で顔の皺を見る。
深く刻まれ、ここまで見てくれが悪くなって来たとは。
仕方がありません!
それなら、これからはせめて着るものは明るく華やかな物にしようと決めました。
 
ほとんど遠方の友から頂いたものばかりですが、元々(もったいない!)精神の塊のような私です。
 
タンスを開ければ若かりし頃から頂いたものでいっぱい!
何時死ぬか分からない年齢に差し掛かり、大事にしている場合ではありません。
これらを着て華やかに行こう!
 
そして思うのです。
今なら、若かりし頃抱いた夢を紐解いて挑戦できそうな気もして来ました。
これ程まで、肉体が動くと言う事によって精神が変化するものなの?ですね。
只々、自分自身の変化に驚いています!
 
今日は、梯子をかけ三メートル程伸びたイボタの垣根をバッサリとカット。
諦めていたこの仕事、出来ました!
これならまだ行けそうです!
 
学生時代に読んだ本の一説が思い出されました。
身内の為に犯罪をおかし、愛する人達を守った青年が言った言葉です。
 
刑務所の門を出て、眩し気に空を見上げ
「サアー、これからまた一歩から始めるのだ!」
青年から中年へと時間が流れていたにも関らずです。
 
自分自身の人生に悔いることなく踏み出していくその姿が、この歳になってもなおかつ、心の糧となって私の背中を押してくれます。
 
今の私は、そんな心境になっています。

これからハウスで野菜を育てよう!

ここ日高では、小樽方面から比べると夏でも涼しい所です。

その上我が家は海の見える丘の上。
下の方から比べると3度は気温が低いでしょう。
 
広々とした場所に住んでいるとは言え、鹿の被害をのがれ、野菜を作れる場所は僅か。
ジャガイモぐらいはふつうに作れてもトマト、キュウリ、ナスとなるとやはり、ハウスの中でなければまともに育ちません。
 
年齢を重ね体力気力も衰えて来た今、やめようかな?そんな思いが頭をかすめます。
でも、ハウスがそこにあるのを見ると又始めてしまいます。
新鮮な野菜を食するのは余りにも魅力があります!
出来たら友人知人にも喜んで頂けます。
 
ゆえに又始めました。
 
パートナーが存命中は、私がパートに出ている間はハウスの温度管理はお任せスタイルで良かった。
だから、早くに植え付けても良く育っていました。
 
でも今は一人。
週3日とは言え、留守の間はいくら悪天候でも、ハウスは解放していかなければなりません。
もしも、その間に太陽が顔を出したなら、野菜はたちまち焼けてしまいます!
この温度管理が出来なければ、いくら早くに野菜を植え付けてもまともに育ちません。
だから、今頃が良いのです。
一人暮らしになってから、徐々に体得した事です。
 
勉強したおかげで、さび付いた肉体を少しずつ動かせる様にもなってきました。
野菜作り、なんとか今年も頑張れそうです!

新たな筋トレの効果

私には合わなかったイタドリのサプリを止めて約2ヶ月、その間新たな筋トレを朝夕真面目にこなしてみました。

 
結果、痛みは、ほとんどなくなってきました。
驚きと喜びを味わっています。
これなら、まだ今までの生活を続けられそうです!
 
ようするに体中のさぼり筋を、如何に復活させるか!に掛かっている様です。
元々好奇心旺盛な性格で(どうしてこうなったのか?)(改善方法はないのか?)突き止められたら後は,行動するのみでした。
 
痛みはなくなってきたとは言え、筋トレは痛い!
でも痛いのはその時だけでそれを続けた結果日常生活は、スムーズに過ごせています。
 
これを一生続けなければ命尽きるまで立っていられないのだ!と、言う事の様です。
年老いて、新たに体験し学びによって克服していくしかないのですね。
愛する猫家族と過ごすには努力あるのみです。
 
長生きすると言う事は何と厳しい事でしょう。
老体を動かすには、(筋トレ=リハビリ)と、とらえるべきなのだと結論がでました。
 
サプリを飲んで済むなら簡単ですが、そうは行かない事にたどり着きました。
日々努力あるのみです。
新たなる未知との遭遇です!
 

ウサギ小屋

結婚して2年程経った頃、実家の祖父母の法事に出掛けた帰りにウサギを二匹貰って来ました。
 
これも又私が経験した事のない日常の始まりでした。
帰宅するなり、ウサギを家の中で放し飼いにすると言うのです!
 
実家では、棚作りの幅二メートル奥行一メートル程の檻の中に飼われていましたし、幼い頃から見聞きしていた飼い方は、やはり檻の中でした。
 
私はウサギを家の中でペットとして飼うのは初めてで、考えてもみませんでした!
これも又、生まれも育ちも違う事なのでしょうね。
 
最初は勝手が分からず戸惑っていましたが、要するに玄関がウサギ部屋に。
ですが、来客の度にウサギをなんとかしなければなりません。
小さなうちは良かったのですが、大きくなりますとやはり檻が必要です。
 
しばらくして、知人から
「ウサギ小屋を作るなら、牛小屋を増築した時の材料が残っているから、安く分けて上げるよ」
と、言われパートナーはその気になりました。
 
いよいよ始まりました!
材料は揃っています!東京から持ってきた道具も立派です!
 
場所を厩舎の一馬房の片側に決め、
パートナーは、牧場の仕事の合間合間に意気揚々と作業開始!
 
大丈夫かな?と、私。
傍目で見ていると、計りもせずに適当に進めています!
まずは、牧柵を作った残りの丸太をチェーンソーで切断。
幾度も長さを調整しながら、始めは高さ一メートル程の棚を作り上げました。
ここはキタキツネが多く、高くしなければ命を狙われますからね!
 
その後厚手のパネルを、チェーンソーで次々にカットしていました。
今は二匹でも、いずれ子供が生まれたら必要になる!そう考えたのでしょう。
四メートルぐらいの長い箱に仕切りを付け、4部屋作っていました。
 
天井と床を決めたまでは良かったのですが、網を張り、その各部屋に戸を付ける段階になって苦戦しています。
 
見ていると呆れるばかり。
まともに計りもせずに作り上げたのですから、スムーズに取付けられるはずもなく、あてがってみては取外しを、繰り返しているうちにだんだん乱暴になって、はた目にも苛立ちが伝わってきました。
戸の角を力一杯金づちで叩いたり、カットしてみたり、もう汗だくです!
 
二日程かかっていましたが、どうにか完成しました。
予想通り、出来上がりは惨憺たるものです!
 
でもまあ、ウサギは飼えますから良い事にしましょう。
 
それにしても戸口ときたら、台形だったり長方形だったり継ぎ接ぎだらけで、とてもまともな材料で製作した?とは思えません!
呆れましたが、私は無言でウサギを連れて来ました。
 
後日、
「ウサギ小屋出来たかい?」
材料を分けて下さった牛屋さんが見に来ました。
 
パートナーは、
「ウサギは、ここにいるよ」
と、涼しげな顔をして馬房掃除の手を休め、案内しています。
 
牛屋さんは、それを見て明らかに驚いていました!
喉に、何か詰まらせているのを力一杯堪えている様な表情で、口元をしっかり結び、顔全体が歪んでいます!
眉をピクリと動かし、しばらく食い入るように見回していました。
 
やがて片手を上げ、何も言わず車中の人に。
 
余りの出来具合に、感動した!?
まさか!?
 
こんな時は、挨拶だけ交わして誰もが無言なものですね。
 
私はここで気がつきました!
高学歴と大工仕事はまったくの別物なのだと!
 
8月末の暑い夏の日の出来事でした。

今日は、まどかちゃんの日にしましょう

昨年の暮れより癌で闘病中の猫、まどかちゃん19歳。

何時も下痢便でパートに出かける時には、心ならずも遠ざけていました。
行動はまだ普通ですが、だんだんと瘦せて来ました。
 
歯はほとんど抜け落ちて、食べ物の選り好みが激しくなっています。
 
以前は、私に抱かれるのが何より好きでしたが、猫同士の力関係で4,5年は我慢ばかりでした。
今やっと独り占め出来る様になったのですが、今度はウンチを垂れ流す様になり、そうやすやすと抱いて上げられなくなりました。
 
ですが昨日から5日間、仕事はお休みです。
バスタオルを軽くお尻に回して、幾度も抱き上げています。
 
ウンチを漏らす様になって、分かっていたのでしょう。
私にベタベタしない様にしていましたもの。
「でも、今日は、甘えても良いのね」と、追いかけてきます。
 
小さくなった身体を私に預け、見上げる目は笑っています。
幾度も幾度も背中をさすり室温20℃では、寒そうなのでストーブを付けて上げました。
私に保護されて幸せでしたか?
嬉しそうに見上げる目もすっかりくぼんでいますが、まだ頑張れそうですか?
時々ただずんだり、うずくまったりしているのを見かけますが
きっと痛さを堪えているのでしょう。
終わりの日まで生きるのは、本当に大変な事ですね。
 
見守りながら、共に過ごした日々が走馬灯の様に思い出されます。
だから今日は、抱っことなぜなぜを沢山して上げました。

人間は何の為に生きる?

人間は、何の為に生きるのでしょうか?
 
幼い日からの問い。
自問自答の中に身を置いて、出た答えは
命を繋ぐ事!
に、辿り着きました。
人間の存在無くして、始まりも終わりもないのだから。
存在しているからこその悩み、生きる!事に繋がるのでしょう。
 
かつて私は、母と呼ばれた時もありました。
子供のいない私は、子供のいる人の助けになれたから良い。
 
今は皆旅立って行き、それぞれに生きています。
 
あの時は、テーブル一杯のご馳走(山野草が一杯)を振舞った。
笑みを浮かべ、「お腹が一杯!」
と、休みながらも食べ続けていた子供達。
 
困っていた時には、微力ながらも手を差し伸べた。
今は、その思い出だけです。
 
それでも、楽しんで喜んでいた姿を見させてもらって幸せでした!
 
パートナーも、私と同じ事を経験してた人でしたね。
 
今では旅立った子供達に、幸多かれと祈るばかりです。
 

思い出の庭

4月30日で72歳です。

 
此処まで生きて思う事は、過去に思い描いていたより
(ズート長く生きてしまった!)
その感覚です。
 
パートナーは、86歳で亡くなりましたが
「こんなに長く生きるとは思わなかった!人生50年と言われていたからね」
良くこんな事を言っていたのを思い出します。
だから経済観念が無かったのかも知れません。
 
20歳の年齢差があったとは言え、似たもの夫婦とは良く言ったものです。
どうやら私も経済観念はない!様です。
あの方の側にいたのですから。
 
でも今の所小さな牧場の跡地とは言え、広々とした敷地に生きて居られるのですからまったくの貧乏ではありませんよね。
幸せ者です!
大好きな自然の中で生活が出来ているのですから。
 
昨年、木々の枝祓いをしてもらいましたので家の周りが明るくなりました
すると、種が落ちて花が咲くまで15年の歳月がかかると言われているエイレンソウがイボタの垣根の側で、今までで一番大きな花をつけ背伸びをしている様に咲いています。
手は行き届きませんがまるで自然の中です。
 
我が家の庭は、森の小道をイメージして木々が植えられています。
植えたのはパートナーですが、私の好みに合わせて配置していたのですね。
 
玄関から左側に張り出した離れ、L字型の建物を囲む様に大きくなった木々。
 
もう直ぐイボタの垣根の上に藤の花のアーチが咲き誇ります。50年かけて出来たものです。
老いてきた私には手に負えない程の生命力で、管理には少々難儀になりましたが眺めていると癒されます。
 
この感覚もパートナーと共通したものでした。
癌になり2年半のほとんどを病院で過ごした日々、何時も庭を懐かしがっていました。
写真を届けて上げると、看護婦さんに一緒に見ていただき喜んでいました。
懐かしい思い出の一ページです。

反省

歳を取って出来ない事が増えて来ています。

肉体的な衰えから、脚立を使って電球の取り替えや掃除がままなりません。
まー、少しぐらい汚れたからと言って死ぬわけでもないのだから、イヨイヨになったら考えるとしましょう。
 
そんな考えで、今いる5匹の猫ちゃん家族との生活を一日でも長く続ける為の選択をしています。
無理して怪我でもしたら元も子もありませんから。
そうして自分では頑張って生きているつもりですが、よーく見ますと知らず知らずのうちに多くの事を周りの方々に助けて頂いている事に気付きます。
改めて皆様本当にありがとうございます。
 
そんな私が近頃反省している事があります。
様々な書類、説明書に目を通すのを止めている事に。
 
これは4年前だったでしょうか?白内障の手術をしましたが、手術する5,6年前から殆ど見えなくなった目のせいで文字を追う事が出来ず、ワープロの画面すらまともに見えませんでした。
故にその間、新聞もほとんど読めずに過ごしました。
 
それが習慣になってしまったのでしょうね。
知らず知らずのうちに面倒な事から逃げる様になっています。
 
そのせいで先日同僚の方に迷惑をかけてしまいました!
今そこに気付き、深く反省している所です。
どうやら私はもう少し生きるみたいですから、今からギブアップはしていられません。
 
知人の方から「オレオレ詐欺に引っかかったらダメだよ!」
と、暖かい忠告を頂いています。
 
「はい!気を付けます!」
絶対とは申せませんが、お金が無いので騙される訳にはいきません。

イタドリのサプリ止めました

今まで様々なサプリメントに助けられて来ましたが、進み行く老化に合わせて変えていかなければならないのが現状の様です。

 
昨年まではそのサプリメントで調子を整える事が出来たのに、もうそれではダメ、そんな繰り返しです。
 
あちこちが余りにも痛いので、テレビのコマーシャルに乗せられイタドリのサプリを飲み始め、良くなるのを期待していたのですが、アレルギー持ちの私には合わなかった様です。
 
飲み始めて2週間程は痛みはありましたが、身体の動きが今までよりスムーズ。
お陰様で家の周りの雑草取りが出来ました。
動いては、筋肉痛でシップを貼る。その繰り返しでしたが、前より痛みが緩和されて行くように思えて喜んでいました。
 
所が三週間目になって膝が浮腫み、腿にかけて腫れが出て来ました。
すると今まで出来ていた正座が出来なくなって来たのです。
ここで止めました!
 
止めて二週間はたちました。
浮腫みは取れましたが、以前の様に痛いです!
それでも、今のところジッとしている時は痛みはありません。
動かすとどこかが痛い!
いくら痛くても、こまめに身体を動かさなければ肉体は動かなくなる
これが答えの様です。
 
今更ながら亡き父の言葉が思い出されます。
「この痛さは死ぬまで治らないのだろうなあ」
 
YouTubeで見つけた新たなトレーニングを始めています。
まだハッキリ分かりませんが、やらないよりは良い様に思います。
また、お知らせしますね。

一人暮らしは忙しい!

以前から友より聞かされていた事でした。

 
一人暮らしはとにかく忙しいって知り合いのお祖母ちゃん言ってたから分かるんだー(一人と言う事はね、何でもかんでもやらなければならないから、とにかく忙しいんだわ。一日なんてあっという間だ)何時もそう言ってたもの」
 
その話を聞いて確かにと思っていましたが、今の私はとにかく忙しい。
 
完璧を考えたら気がおかしくなりそう。
だから考えない!
パートナーの教えです。
「生きるか死ぬか以外はどうって事はない!それを今日しなければ死ぬわけじゃないだろう?明日やればいいんだよ」
今思っても本当に優しい人でした。
 
母は「今日しなければと思ったことは今日しなさい。明日することは夜寝ている間に考えないと間に合わないんだよ」
そう教えられて育ちましたが、今思い返せば健康な人に通用する事だったと気付いています。
私はそう健康ではありませんでしたから辛かったです。が、
「M子は、身体は弱いが気だけはしっかりしている」
パートナーにそう言わせた人間に育ったのは母のおかげでしょう。
 
2、3日前からウグイスが鳴き始めました。
8日には、長姉に春一番の様々な山菜を送る事が出来ました。
山歩きをして気付かされたのは、めっきり足腰が弱っている事です!
 
どうしたらこの身体を使い物に出来るか?
新たなトレーニングを見つけましたので鍛える事にしましょう。
死ぬまで立っていたいのです!
 
やることが一杯でとにかく忙しいです。

友は猫ちゃんに感謝!

私の遠方に住む友が、昨年家の前に捨てられていた子猫を保護猫として飼う事にしたそうです。

 
元々優しい性格の彼女です。
とても放ってはおけなかったのでしょう。
 
御主人を亡くされ息子さんと二人暮らし、
「必要以外は言葉を交わす事は殆どないヨ」
と、言っていたのですが子猫が来てから生活が激変したとの事。
 
息子さんが休みの日に、家の中に猫が遊べるタワーを作り部屋を改善したと言うではありませんか。
仕事帰りに猫ちゃんに一杯の土産を買って戻り、疲れてクタクタにもかかわらず遊んでくれと猫じゃらしを持って来る猫ちゃんを、嫌がりもせず相手をしているそうです。
 
今ではすっかり猫ちゃん中心の生活になり、息子さんと会話も弾み感謝していると嬉しそうに語ってくれました
 
猫ちゃんは、家族を繋ぐ天使だったのですね。
 
我が家も同様です。
大切な大切な家族です!

イタドリのサプリ

3月11日からイタドリのサプリを飲み始めました。

テレビを見て(これはコマーシャルだから特別よ!)
と、思っては見たものの、90歳のお婆さんがマラソンをしているではありませんか。
聞けば10年程前から飲んでいたとか。
 
私もかれこれ20年前頃から今まで様々なサプリに助けられここまで来ましたが、エスカレートしているとは思っていません。
この助けが無ければ私の身体は動いてくれないのです。
何時もけだるさがつきまとい精神で常に「動け!」と命令して活動しているそんな日々です。
 
アレルギー持ちですから、栄養剤もサプリも合うのを見つけるのは大変です。
やっと見つけたプロテオグリカン、今までは良かったのですが、近頃腿とふくらはぎの筋肉が硬くなったのか、立ったり座ったりする度に痛いのです。
時々シップはしていますが、お婆さんの
「痛くない!」
のコメントに乗せられてイタドリ三ヶ月分を取り寄せ、確かめている所です。
 
飲み始めて一週間後、何となく何時もより調子が良いので嬉しくなって、庭の手入れを半日スイスイとこなせました。
所がその夜、筋肉痛で苦しめられ、2日間のパートをこなすのが大変でした。
でも又一週間後動けそうで、何時もは後回しにしていた家の中の整理やってしまいました。
その夜から又もや筋肉痛。
明日から3日間はパートです。
今日は休んでいましたが、こうして体調管理をするのは大変です。
でもイタドリのサプリ、良いかもしれません!
この人体実験、時々ブログにのせますね。
私もあの元気なお婆さんみたいになりたいです!